|  第五話 ヤンキー魂 柿色ミラージュを廃車にした後、乗っていたのはリフトバックのコロナGT(コロG)http://www2.odn.ne.jp/aki-net/JSCbk/52.htm
 
 
 EM2の紹介で、神戸湾岸でゼロヨンをやってた兄ちゃんから、25000円で購入。
 色は薄いベージュ。この車はとにかく重かったが、18RGUというトヨタのツインカムエンジンでは伝説の一品を搭載。
 ソレックスキャブと、トラスト製巨大直管マフラーとタコアシで、直線なら当時出たてのスープラをちぎれると前オーナーは言っていた。
 ボンネットにはうっすらと、ヤンキー仕様時代の名残であるゼッケンステッカーの跡
 (ちなみに69番)が。ダッシュボードには電光のやしの木がはえていて、リヤウインドウには金華山カーテン付き。
 当時の私は車社会の常識とは無縁の世界の人間だったので、以上の高性能を何ら意識することなく神戸から三重へと持ち帰った。
 
 
 そして放課後、三重大学の水産門から自動車部の部室へと進入した。
 先輩A「お、おまえ、その車はどうした?」
 私「ミラージュから乗り換えました。なかなか速いです。」
 先輩A「うちは暴走族じゃないんだ!その爆音は数分前から聞こえとったぞ!
 まさかとおもったらうちに来やがった!乗るのならノーマルに戻せ!!」
 むっとした私は聞き返した。
 私「どこを直したらいいのですか!?」
 先輩A「そのマフラー、タコアシ、カーテン、コーナーランプの青色はよせ!
 フェンダーのOKマークもはずせ、その電光ナンバーは、、、あ〜もう車ごと捨てて来い!」
 私「やしの木は?」
 先輩A「やしもだ!!」 (I LOVE YOUの文字が光って綺麗なヤシだった)
 
 
 しぶしぶ私は先輩の仰せに従い標準化を試みることにした。もちろんEM2をたよって。
 そして神戸に向かう道中、国道2号線でパトカーに停止命令を受けた。
 当時免許の点数は1点。私には止まることは出来なかった、、、、バトルだっ!
 詳細は危険なのでこれ以上書けないが、車にシートをかけて神戸に置いて帰ることに。
 
 
 そしてほとぼりも冷めたと思われる1週間後、電車で帰省した私は再びこの愛車のシートをはぎ、ハンドルを握った。
 「OK!コロG!今夜は山へ行こう!」(湾岸ミッドナイト風)
 この夜、隣に永遠のいじめられっこ同級生のK君をのせ、EM2の家を発進、六甲山へと上っていったのだが、発進して5つ目の右コーナー、踏みっぱなしの走りに左テールが流れて電柱に左ドアからヒット。
 K君「おたつ(当時の私のあだ名)!窓が無くなったで!!」
 ひとたび走り出した私を電柱ごときでは止める事は出来なかった。
 その後もK君は、「寒い、寒い」と連呼したが、コロGの爆音に空しくかき消された。
 
 
 結局EM2はなんら手をつけてくれることは無く、私はビニールゴミ袋を割れた助手席の窓枠にはり、名阪国道を三重へと帰ることに。
 途中、松原〜天理間で、うわさの「スープラ」と遭遇、激戦の末ぶっちぎった。
 ビニールゴミ袋付き、近隣数キロに響き渡る爆音マシンに敗れたスープラは私にとっては「かなり遅くてダサイ車」の印象を植え付けた。
 私はこの愛車の高性能にすこぶる満足だったが、諸先輩がたから「部室立ち入り禁止、大学内進入禁止」という、新入生としては異例の厳しい処分を受け、止む無く廃車にすることに。
 一度廃車となると、快くクラブの敷地に捨てさせてくれたが、ああっと言う間にほとんどすべての部品をむしられていったのは口惜しかった。
 結局この車では、六甲山も傘○山も、ほとんど走れず。
 でも、先輩に噛み付く反骨精神と、体がゆれるくらいの爆音の快感、直線で踏み抜く根性などは身に付けることが出来た。写真が現存しないのが残念。
 それにしてもあの「やしの木」は何処へやったんだろう、、、
 あの頃サウンド その3 TMネットワーク 「GET WILD」ほか くどいようだが当時まだユーロビートなるドライブにベストマッチなサウンドは無く、邦楽ではかなりノレる曲だった。
 
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