|  第七話 そろそろ役に立つ話? 名車910ブルの最後はあっけなかった。帰省中のある日、同級生を2人乗せて実家の近所を走っていたら、一旦停止を無視したクラウンに運転席側から激突され、交差点対向のマンションのフェンスに突きとばされてしまった。
 ベルトをしていたにもかかわらず、鼻血を出してうめいている友達を見て激怒した私。
 クラウンのオッサンの胸倉をつかんで「警察よばんかい!」と怒鳴ったら
 「ワレが自分で呼べや」と冷淡に返されて我に返った。
 見るからに「やくざ」だった。
 
 
 その後、度々警察に通ったり、調停の結果、私は40万円を手にしていた。
 さようならブル。ありがとうブル。事故のむちうちなど何処吹く風、私ははじめて車種を指定して車を購入した。
 あのブルを買ったお店で、「ランサーターボくださいっ!」
 初めて連れられていった傘○山、すごい加速と金属音、三菱マークのホーンボタン、、、結局しっかり毒されていて、とうとう自分で買うことに!
 その頃にはすっかり自動車部員としての洗脳も完成期にあり、車とは
 「ダートを走れるFRで、デフ付きの速いデート車 エアコン付き」となっていた。
 
 
 初代ランサーターボ56年式前期型インタークーラ無しGSRの登場。
 サイドのちぎれたベルトともおさらば。
 ハンドルは相変わらず聞いたことの無いメーカー。
 でもホーンボタンはやっと見つけた三菱マーク。(嗚呼、扇風機)
 若者らしく形からはいって、カッティングとデカールで外見を派手派手のラリーアートカラーに。
 ボンネットには巨大な三菱マーク。
 エンジンも絶好調だったこの車、いざ峠へ!という頃に大事故を起こしてしまう。
 
 
 任意保険の継続を忘れていた私は、その事を気にしながらも無為に数日過ごし
 ある日先輩から熱い仕事を頼まれてしまう。
 「どうしても今日中に神戸に行って、研究用の音源を捜したい。君の腕が必要だ!」と。
 当時津関線を栗○から関まで15分で駆け抜けた記録を持つ私は、まだ日の高い時間に津関線を爆走、前の車が急停車したのを右から追い越しに入った瞬間、左から軽トラックが登場、前の車は道を譲っていたのだった。
 とっさにハンドルを左にきってサイドを引いたが、あの頃から三菱車はサイドが効かない。
 微妙に右へドリフトしつつ軽トラックの右エッジに激突してしまった。
 追い越し禁止区間での対抗車線での事故、しかも速度は口に出せないくらいの猛スピード。
 けが人が出なかったのが奇跡に近い状況だった。
 先輩は「さすが、よく俺のほうをかばってくれた」と言ってくれたが別に先輩を気遣ったわけではなく、何とか横に向けて止めたかっただけだった。
 
 
 アメリカへ旅に出るつもりで貯めていた50万円で新車の軽トラックを購入し弁償。
 自分のランサーの修理費までは出ないので、へこんだメンバーに牽引ロープをかけて、電柱と綱引きをして修正。
 信じがたい話だが、この補修方法でほぼフレームも戻り、エンジンもそのまま動いてくれた。
 このときのランサーの丈夫さが胸に焼きついた。
 アルバイトを強化して、中古でボンネット、グリル、バンパーなどを購入したが、生活費にも事欠く事態となってしまった。
 保険にさえ入っておれば、、、そんな時、自動車部の同期Kが、自分のRX−7との交換を持ちかけてきた。
 自分がランサーターボを競技車として復活させるのにはお金と時間がかかりすぎる。
 彼のRX−7はダートラ仕様として完成し、試合での実績もあった。
 わずか数ヶ月で、私はランサーターボを手放し、サバンナRX−7へと乗り換えた、、、
 教訓 任意保険無しに車には絶対に乗らない。 私は910ブル、ランサーターボ、2台の名車を手にしながら、未だ公式競技に出ることは無かった。ただの傘○山トライアラーとして、空しく日々を過ごしていた。
 同期のKは、ランサーターボでダートラに出場、優勝を飾っていた。 口惜しかった。                     (ぷろじぇくとえ〜っくす) 「君にも取れる。国際C級ライセンス入門」 まえがき に戻る
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