| 第三話 当時の走りは、、、
 
 みんなそうなのかもしれませんが、とにかくアクセルはいつも全開。
 タコメーター(エンジン回転計)にとてもこだわっていて、各ギア必ずレッドゾーンぎりぎりまで引っ張って走っていた。
 たとえ行き先が歩いて5分の近所でも、160キロ彼方の実家でも、
 わき目も降らずに全開走行、どこにいてもサーキットで、
 毎日一人レーサー。
 初めてドライビングを教えてくれたのが、自動車学校だったので、
 スピード以外は自動車学校の教えにとても忠実な走り。
 たとえばコーナリング。
 コーナリングの基本は「スローインファーストアウト」
 すなわち、「減速して進入、速やかに脱出」
 特に「速やかに脱出」にこだわっていた。
 また、「カーブの途中でブレーキを踏んではいけない。」
 もよく守っていたが、この文言に忠実であったために
 何度もクラッシュを繰り返すことになる。
 何しろ峠を攻め始めた頃、先ずアクセル全開で発進。
 コーナーが見える、ブレーキで減速する。
 しかし、速度が速すぎてそのままカーブにさしかかってしまった。
 ここでさっきの教え、「カーブの途中でブレーキを踏んではいけない。」
 勇気をもってブレーキから足を離す。
 そして、「速やかに脱出」
 アクセルに踏み変えてしまうのであった。
 正解は「減速が不十分では絶対に曲がれないので、目一杯減速を続ける。」
 「カーブでも前輪の接地力を高めるために、ケースバイケースで
 ブレーキは必要。」
 そう、運転は、物理的なものの考え方なしには決して上手くなりません。今にして思えばなんて人文学部的な運転思想。
 激しいスポーツ走行を目指そうとするのに
 自動車学校の「安全運転のすすめ」がマニュアルだった私。
 このため、傘○山の通称石碑コーナーで、
 一晩に3回森の中へ突入するはめに。
 でも自分の走らせ方に、当時は何にも疑問をもたなかった、、、
 素直だったなぁ〜
 そしてクラッシュ経験が早くも二桁に乗りかかった18歳の夏一冊の本を手にした私。
  日本一速い男、レーサー星野一義著、「スポーツ走行入門」  
 (なつかしの部車AE86スーパーチャージャー ジムカーナC車両  おいちゃんに髪が!)
 
 今にして思えばこの本は結構痛かった。
 続きはまた次回に、、、
 それにしても、本当に今生きてるのが不思議な私。
 
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 第四話 柿色のミラージュ
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